山本太郎インタビュー

劇中で原発事故に遭った平田家の心配をして沖縄から駆けつける光太郎伯父さん役で出演している山本太郎。自身も原発問題には精通している立場からどのように映画に関わったのだろうか?

—出演に至る経緯、脚本を読んでまず感じられたことなどを教えてください。
山本太郎(以下、山本) それは監督の熱烈なラブ・コールですよ(笑)。脚本を読んで、テレビ、新聞などのマスコミ、メディアのスポンサーへの気遣い偏向報道で事実を知ることが出来ていない人たちも、もしかしたらこの作品を通して原発事故の悲惨さが疑似体験できるのではないか、と思いました。私生活で原発へのアクションをしているので、作品などで表現する必要はないと出演を決めるまでは思っていたのですが、監督と話し合い、脚本を読んで自分の考え方が変わりましたね。

—光太郎という人物はどのように演じてみようと思われたのか?
山本 自分と重なる部分もあったので、脚本のまま素直に光太郎に入っていくことだけでしたね。

—監督とのコミュニケーションは?
山本 太田監督は、役者が納得できるまで現場で話し合ってくれるんで、芝居に入るまでの時間で僕らの「気持ち」や「感情」が現場で構築できるまで絶対本番にはいかないんですよ。役者の生理をよく理解されている監督だと思ったので、僕から特に何かをお願いすることはなかったですね。

—舞(橋本わかな)との病院でのシーンは涙を誘うものでした。
山本 あそこは台本をしっかりと頭に入れ、監督の指示に従い、橋本さんのピュアな芝居に触れればいいだけだったので、僕が特に芝居をリードしたわけでもないですよ。

—ロケ現場の湖西市の印象は?
山本 この辺りが昔、波乗りをしていた時によくおじゃましていたエリアだったんですよ。その当時は原発の危険性など考えたこともなかった。どんな美しい景色も、豊かな暮らしも、美味しい食べ物も、一瞬で目に見えないモノに脅かされる恐怖。どうか映画の撮影で触れた湖西の美しさ、人々の優しさが理不尽な脅威で目茶苦茶にされませんように、と祈る気持ちがあります。

—スタッフ・キャスト、ボランティアらには?
山本 お金でなく“想い”で集まった最強のチームでした。僕は数日だけの参加でしたが、同じ時間を共有できた事、忘れません。

—映画を見る観客に
山本 この国に住む者にとって、全ての人々に起こり得ることです。原発がなくてもエネルギーは足りているわけで、ガス火力中心でこの国はすでに「脱原発」に成功している。99%の人を犠牲にしても、1%の人が地震の活動期でも金儲けを諦められないから、原発をまだまだ続けよう、というのがこの国の原発政策。事故が起こっても、電力会社や国は「事故隠し」以外何もしてくれないんです。東日本一帯にブチまけた毒物は、「無主物」として司法から責任を問われることはない加害者。電力会社の上層部は億単位の退職金を持って天下りする。一方で「放射線管理区域」の何倍もの線量数値の場所は、安全・復興という言葉にすり替えられ、「放射性廃棄物」と同等の食べ物を食べても安全だと切り捨てられることが東電事故でハッキリした。チェルノブイリ事故から27年経った今も「健康被害」は拡がり続けている。大人が今、本気を出して止めさせなければ、次の苛酷な事故は時間の問題。皆で一歩踏み出す勇気を持って、この窮地を乗り切りましょう。

(インタビュー・構成 永田よしのり)


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